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エースナンバー「10番」を背負うサッカー漬けの日々
私の原点は、幼稚園のグラウンドにありました。
たまたま幼稚園のグランドに練習に来ていたサッカースクールの光景に心を奪われ、憧れからサッカーを始めたのがすべてのはじまりです。
そこからはサッカー漬けの日々。
中学ではクラブチームからオファーをいただき、強豪チームでエースナンバーである「10番」を背負いキャプテンを務めました。
しかし、中学3年生の集大成となる「高円宮杯」のわずか4日前、練習中に左膝の前十字靭帯を断裂。全治9ヶ月。
もちろん試合にはでれず、ベッドの上で敗退を聞き、あの悔しさは、今でも鮮明に覚えています。
その時に入院したのが「西岡第一病院」。
エターナルフィットの統括マネージャーでもある野呂が、当時理学療法士としてリハビリしていたあの場所です。
当時はただの先生と患者の関係でしたが、今こうして野呂と一緒に働くことになるなんて当時は知る由もありませんでした。人生っておもしろいです。笑

繰り返す前十字靭帯断裂の中に見つけた希望
高校はサッカーができる環境にいたく、東海大学付属札幌高等学校(旧:東海大学付属第四高等学校)へ進学。 2年生の時にようやく怪我を克服し、サッカーの練習に復帰しました。
部員数100人を超える激しい競争の中、再びレギュラーの座を掴み、ようやく調子が戻り始めた矢先のことです。遠征中に再び前十字靭帯を断裂。
さらに大学1年生の時にも三度目の前十字靭帯断裂を経験し、両足の腱を移植する手術を受けました。
レギュラーとして活躍できなくなりましたが、この経験が大きな転換点となりました。
「プレーする側」から「サポートする側」へと視点が変わったことで、試合に出られない選手の葛藤や痛みを、誰よりも理解できるようになったのです。
今振り返れば、ただ選手を続けるよりも、はるかに大きな学びを得た時期でした。
結果として、3度の怪我により、私は選手としての道を退く決断をします。絶望の中にいた私を救ってくれたのが、「筋トレ」との出会いです。
最初はリハビリの延長として始めたものでしたが、取り組むほどに体が変わり、その奥深さにのめり込んでいきました。
やがて友人から「やり方を教えてほしい」と頼まれるほど、周囲の反応も変わっていきました。自分の体が変わっていく実感が何より楽しく、大学時代は解剖学や栄養学も独学で勉強するほど。
自分の力で機能を回復させていくプロセスに、サッカーとは別の、確かな「希望」を見出すことができました。
「人の健康」に携わりたいと確信した時期
大学卒業後は、医薬品の営業(MS)を経験しました。
安定した環境でしたが、どこか物足りなさを感じていたのも事実です。
薬は間接的に人を救えますが、もっと目の前の人の体が変わる瞬間に立ち会い、直接「ありがとう」の言葉を聞きたくなりました。
そう思うようになったのは、学生時代の4年間にわたるフィットネスクラブでの経験にあります。
現場でお客様のトレーニングに真摯に向き合い、共に喜びを分かち合った充実した日々。
そして、自身の怪我の経験もあります。足が動かなくなるという恐怖の中、私を救ってくれたのは家族、トレーナー、そして医師といった周囲の方々の献身的な支えでした。当時、リハビリを続ける中で、「人を支える仕事」につきたいという想いが芽生えていきました。
この2つの経験が、現在の「人の健康に深く携わりたい」という志の根幹となっています。
そうして、父のご縁で紹介されたインパクトジムでパーソナルトレーニングとして働き始めました。
それから、4年。
「お客様から直接ありがとう」と言われる喜び、人とコミュニケーションをとりながら、一緒に目標を成し遂げる喜びがあり、やはりトレーナーに転職してよかったと確信しています。
エターナルフィットで札幌の街から、健康寿命の常識を変えていく
大学では福祉を専攻しました。実習を通じて多くの高齢者や生活困窮者の方々と接する中で痛感したのは、「孤独」がいかに人の幸福度を下げ、健康を蝕んでいくかという現実でした。
数値上の改善だけでなく、「人とのつながり」精神的な充足、そして社会的な繋がりがあってこそ、人は健康になることを学びました。
この学びがあった上で、数値の変化を追うことが主流のフィットネス業界において、
エターナルフィットが掲げる「医学的根拠(エビデンス)に基づいた予防的アプローチ」は、何年経っても色褪せない健康への本質的な価値だと感じています。
- 予防医療の普及: 怪我をする前に「防ぐ」という選択肢を広めること
- 多角的なサポート: 生活習慣病に悩む方へ、運動・食事から寄り添うこと
- 孤独の解消: ジムを「人との繋がり」が生まれる場所に変え、社会的な孤立をなくすこと
エターナルフィットが札幌という街にとって欠かせないインフラとなり、私自身も後輩たちの成長を支えながら、この街の健康寿命を延ばしていきたいと思っています。
怪我、リハビリ、そして学び。これまでの歩みのすべてが、今の私をトレーナーへと導く「一本の道」となりました。
- Pilates Instructor
