理学療法士として10年以上の現場経験を積み、現在は、エターナルフィットの統括責任者として、数多くの人の健康と向き合う野呂章洋。
彼のトレーナーとして根底にあるのは、ただの身体改善ではなく、人生を支えるという覚悟。
「人を診る」その志はどこから生まれたのか。
今回は、野呂の幼少期から現在に至るまでの歩みをたどりながら、その信念がどのように育まれ、いま現場でどう息づいているのかを掘り下げます。
さらに、彼をよく知る兄や仲間たちの声を通じて、野呂章洋の人間性により深く迫ります。
Contents
野呂をよく知る人物紹介
野呂の幼少期|家族とのつながり
北海道赤平市、野呂家の2人兄弟の次男として生まれました。
末っ子として、家族全員から可愛がられあまり怒られた記憶がありません。笑
毎日、2個上の兄(現在の社長)に金魚のフンのようにくっついてました。兄はいつも僕と一緒に遊んでくれて、面倒見がすごくよかったです。
一番好きだったのは母親。2歳まで母乳をのんでいたことは今でも家族にいじられます。笑
父は、新卒から定年退職まで赤平市役所で勤め、コツコツと仕事する真面目な父でした。僕たち兄弟にはとっても甘く、いつでもやりたいことをサポートしてくれるそんな父です。
そんな家族の中で私は育ちました。
家族以外にも、親戚が多く集まる家でその中で大きな存在だったのが祖父。祖父は個人で建具屋を営む傍ら、赤平市の消防団で副分団長も務めていました。
5人の孫たちのことをとても大切にしてくれていて、祖父と銭湯に行くのが日課のような楽しみでした。
背中を洗い合った思い出は今でも心に残っています。
そんな祖父が膀胱がんを患い、人工膀胱となってからは、公衆浴場に行く機会がなくなってしまいました。祖父は外出も減り、表情も少しずつ変わっていったように思います。
祖父が亡くなる数ヶ月前、記念として「最後にもう一度」と一緒に銭湯へ行きました。
そのとき、かつて広くてたくましかった祖父の背中が小さくなっていたこと。湯気の中で、静かに涙を流す祖父の姿を、私は一生忘れることはできません。
祖父の葬儀には、会場に入りきらないほど多くの方々が参列し、「家族のあたたかみ」「人を大切にすること」「誰かのために尽くすこと」を教えてくれた気がしています。
両親、兄、祖父、親戚
幼少期の思い出が、今の株式会社NoLaBoの「健康と運動を通じて多くの人を幸せにする」という兄が掲げた理念
自分一人ではなく、家族まで未来まで考えた健康で幸せにすることに繋がっています。私も同じ経験をしたからこそ、共感している部分でもあるのです。

あきひろは、昔からやんちゃで言うことをきかない子でした。僕が親だったら嫌なくらい。笑
お母さん子だからずっと親から離れない毎日でした。抱っこ、おんぶ、足にしがみついてるような。2歳までおっぱい飲んでたくらいですから相当甘やかされてますよね。
いつも僕のあとを追いかけて、真似して遊んでいた記憶しかないです。僕がやりたいとところ、例えば、そろばん・習字・習い事・ボーイスカウトとか常についてきてました。
兄弟喧嘩はほとんどなかったが、唯一怒ったのは、ゲームボーイをしている最中に上から飛び乗ってきてゲームボーイが壊れたことくらい。
強豪校のエースとして10年間野球に明け暮れた日々
そんな甘えん坊な私は、小学校3年生から高校3年生まで、約10年間、野球に打ち込むようになりました。
常に、一番でいたい、ヒーローでありたいという想いが強く、左投げ(サウスポー)ということもあり、ずっとピッチャーを務めてきました。
中学時代は全国大会に出場するほどの強豪クラブチームに所属し、最終的にはエースとしてマウンドを任される存在になりました。
高校は、甲子園出場やプロ野球選手になる可能性がある強豪校に進学し、高校1年生の秋にはエースナンバーを任され、数多くの公式戦で登板させていただきました。
私の野球人生に転機が訪れたのは、高校2年生の春。
投げすぎ、コンディショニング不足が重なり、肩を故障してしまいました。
当時は、投球後のアイシングやストレッチが当たり前ではなく、インナーマッスルや体幹、股関節の安定性、そして投球動作が肩や肘に与える影響なども、あまり深く考えられていない時代でした。
それまでエースとしてチームの中心に立っていた私にとって、故障によってマウンドから引きずり降ろされた瞬間は、誇りや自信をすべて失うほどの大きな出来事でした。
本気で「野球を辞めよう」と悩んでいた時期に、あるスポーツトレーナーの方と出会いました。
その方は、試合後に肩や肘に超音波を当ててくれたり、マッサージをしてくれたり、何より、選手の話を丁寧に聞いてくれました。
その姿に心を打たれ、「自分もこういう人になりたい」と強く思い、スポーツトレーナーの道を志すようになりました。
そして、父の後押しもあり、最終的に理学療法士を目指すことを決意し千歳リハビリテーション学院に入学しました。

野球に打ち込み、家から遠い強豪校まで毎日父が送迎してました。普通は寮生活ですけど。帰宅後は父があきひろをマッサージしてあげたりプロ選手でもないのに家ではVIP待遇でした。笑
野球での経験が理学療法士を目指すきっかけに
学校に入学し、理学療法士になって「スポーツトレーナー」になる目標ができ、そこから勉強に励みました。
高校時代はそこまで勉強の成績がよくなかったのですが、専門学校時代は、学年で2位になるほど勉強に熱中しました。
実習先は、どうしても行きたかったスポーツ整形の名門「西岡第一病院」で実習する夢が叶いました。
この実習で就職まで繋げるぞと意気込み、誘われた飲み会には必ず参加し、イベントも欠かさず出席しました。今思えば少し出しゃばっていたかもしれません(笑)
頑張ったのにもかかわらず、私の実習中の評価はBランク。他の実習生よりも悪く就職につながらない危機を覚えました。
転機があったのは、院内のソフトボール大会。
学生時代野球一筋だったことを武器に大会で大活躍し、病院のドクターやスタッフの方々から声をかけていただき、無事に西岡第一病院へ入職することができました。
成績ではなく、野球に導かれる運命だったのかもしれません。
理学療法として10年の臨床経験
西岡第一病院入職後は、野球選手のリハビリを多く担当させていただきました。
主に、投球障害、肩、肘、腰椎分離症など、貴重なケースに多く関われたことは、自分の成長に大きな影響を与えてくれました。
しかし、2年目を迎えた頃、ひとつの壁にぶつかりました。
患部のリハビリだけでは再発を防げず、同じ選手が何度も病院に戻ってくる。どうしたらいいのか悩みました。
そんな時、尊敬する先輩トレーナーの方と一緒に「体の根本改善」をテーマにした勉強会に参加しました。
仕事帰りに、先輩の家に集まり、身体のことならなんでも勉強しました。西洋医学・東洋医学・動作分析・筋膜リリース・呼吸・姿勢制御などなど。
この勉強会から、私の中で考え方や施術スタイルが変わりました。
筋肉を増やすことよりも「質」を重視するリハビリ。鍛えた筋肉を使えるようにする。
その結果、再発が減り、選手たちのパフォーマンスも向上しました。この「根本改善」という考え方こそが、今のエターナルフィットの基盤になっています。

野呂は入社当時から時間があれば教科書をみているくらい本当に真面目でした。わからないことがあれば積極的に先輩や医師に聞きにいってました。貪欲に学ぶ姿勢がすごかったです。そのせいか、患者様からの信頼を得るのもはやかった気がします。
成長のスピードがはやくて、2、3年目くらいに自分から仕事をもってくるようになっていました。その仕事は、野球少年団のメディカルチェックとして、医師やPTが同行する仕事で、私も野呂と一緒にしていました。
身体の柔軟性、バランス、怪我をしない投げ方、トレーニング方法などを指導していたが、当時指導した子は今プロ野球選手にもなっているほど。
投球障害9割は野呂はほぼ一人で担当していました。知識や病院への貢献からみても、管理職や上の方からも認められていました。野呂のおかげで患者さんがきていたといっても過言ではないくらいです。
仕事終わりやプライベートでも飲みに行っていたが、うるさくて周りのお客様から怒られたり楽しい存在。
でもなぜか、2次会に誘うとブチ切れて帰るのはいまだに謎。笑

第一印象は、真面目なやつ。スポーツマンっぽく礼儀正しく、元気な印象でした。様々な新しいことに対しても挑戦的で面白い人が入ってきたなと思いました。
とにかく勉強熱心で、当時バスケット団体のトレーナーをしていた僕に色々教えて欲しいと聞いてくれていました。
自分が主催していた週1回の勉強会にも積極的に参加してくれ、僕の家でご飯食べて、勉強してを野呂が退職するまでずっと続けていました。
ディスカッションしたり、映像を見て動作分析したり、セミナー参加した後のフィードバックなどなんでも勉強してました。
独立へ。エターナルフィット開業
病院での勤務が10年を超えたある日、兄から「一緒に事業をやらないか」と連絡がありました。私は即答で「やる」と返しました。
即決できた理由はただ一つ、「信頼する兄」だったからです。
兄は家族の前で、自分のやりたい事業についてプレゼンテーションをしたんです。医師として働く兄の生き様、事業に対する想いを誰よりも近くで見ていたからこそ、迷いはありませんでした。

メディカルフィットネスを開業しようと決めたとき、理学療法士の存在は絶対必要だと思ってました。そして、会社を大きくしたいっていう気持ちもあったので、一人ではなく、仲間が必要だと思ってたときからあきひろが候補にあがってました。
あきひろとは理学療法士として10年以上の経験がある中で、そろそろ次のステージにいってもいいのではと思っていた頃だったから、迷いなく声をかけました。
家族の前でプレゼンしたとき、即答で『やる』って言ってくれたのは今でも鮮明に覚えています。
エターナルフィットの1号店「西町南店」をオープンしたのは、2021年8月。
ちょうどコロナ禍真っ只中での船出でした。
オープンしてから数ヶ月は、お客様が1人も来ない日も珍しくなく、本当にやっていけるのかと不安で眠れない夜もたくさんありましたが、がむしゃらになんでもやりました。
掃除にポスティング、管理業務・・・とにかく可能性があることはなんでも。

苦しい状況で、自分の想いを信じて進めたのは、家族の支え、そして何より少しずつ通ってくださるようになったお客様たちの応援があったからです。
「章洋さんなら大丈夫!」「そのままで進みなさい」と背中を押してくれた言葉が、当時の僕にとって何よりの原動力になりました。

野呂が西岡第一病院を辞め、独立すると聞いた時、「病院が大変になる」と素直にそう感じました。野呂についている患者様が多いのもあるし、病院への貢献が大きかった部分もあります。
独立後の野呂をみていると、「自分のやりたいことをやって生き生きしている」ようにみえます。他の病院スタッフもみんな同じことを言っています。
その姿をみて、自分自身も頑張らないとといつも励まされる。まあ、野呂のあとを引き継いだのは僕なので一番大変です。笑

今までは身体のことについて話すことが多かったですが、独立してからは経営のことなど、さらに新しい分野について学んでいるなと感じます。僕が知らないことをいっぱい聞ける面白さがあります。
エターナルフィットのトレーナー共通言語「根本から身体を変えること」
今のエターナルフィットのトレーナーに伝えているのは、「根本から身体を整えることにこだわる」という姿勢です。痛みや不調はあくまで“結果”であり、その背後には必ず原因があります。
姿勢、動きのクセ、筋力バランス、日常の習慣…。そういった本質的な部分に向き合い、表面的な対処ではなく、再発しにくい身体を一緒につくっていくことが、私の信念で、トレーナー全員に教えています。
そして、パーソナルトレーナーとしてお客様との関わりで大切にしている部分が、『“人を診る”という視点を忘れないこと』です。
15年以上のキャリアのなかで、数万人に体に触れて、動きを見てきました。その中で、確信となっていることは、どんなに技術や知識が進歩しても、「目の前の一人の人をどう良くしていくか」を第一に考えることを変えないということ。
身体だけを診るのではなく、その人の生活背景や性格、目指す目標まで含めて向き合うことが、エターナルフィットのトレーニングの大切な軸です。
どの立場であっても、目の前の方の「本当に良くなりたい」という思いに応えるには、丁寧に身体の声を聴き、時間をかけて根っこから変えていくしかありません。
それは地道な道ですが、だからこそ、信頼関係も深まり、人生レベルでの変化に繋がると確信しています。

開業当初は、方向性など口をだしていたのですが、今のエターナルフィットは全てあきひろに任せています。
任せていいという判断になったのもあるし、私と責任者のあきひろが協力しかかわり合えれば組織としてもっと大きくなっていけると思ったからです。そのくらい信用し期待しています。
インソール作製でレバンガ北海道とサプライ契約
インソールの勉強を始めたのは、25歳の頃まだ西岡第一病院で勤務していた時です。
資格取得のために道外の研修へ何度も足を運び、実践を重ねながら技術を磨いていきました。
身体は環境設定が大事です。その一部を担うのがインソールなのです。
人間の足には本来、3つのアーチ構造があり、これがハンモックのように全身を支えています。
左右で56個もの骨が存在し、それを支えているのが靭帯と筋肉。
加齢とともに、足底筋膜(靭帯)が緩んでくると、どれだけ筋肉を鍛えても元に戻すことは難しくなります。アーチ構造の破綻は、姿勢の乱れや慢性的な不調の原因にもつながります。
インソールは、動作を変える一つの「習慣改善ツール」です。
トレーナーが関わらなくても、日常で正しい足のアライメントで生活できるようになることで、足元から数千回加わる荷重刺激が、脳や姿勢にポジティブな変化を生み出します。
その積み重ねが、身体を根本的に改善することにも繋がります。
ダイエットが短期的な食事制限だけではリバウンドしてしまうように、足元の見直しも、長期的な習慣として支えることで初めて効果を発揮します。
理学療法士は動作分析のプロです。
フットプリントのような静止状態の評価では捉えきれない“動き”を評価・分析し、その人に本当に合ったインソールを設計することができるのが、私の強みです。
今では、街を歩く人の“足元”に自然と目がいくようになり、「この靴の形状では、あの足だとこう崩れてしまうな」「この人にはこんなインソールを入れるべきかも」
と、無意識に分析するようになっています。
現在では、パフォーマンス向上目的で、レバンガ北海道のバスケットボール選手へのインソール作成・提供を行っています。

レバンガ北海道にはもともと、インソールを製作する企業が入っており、足の型を取り、3Dで製作・フィッティングするインソールを提供していました。
ただ私の中には、「選手の動きを見ながらインソールを作ってほしい」という強いイメージがありました。足にトラブルを抱える選手に対して、歩行やジャンプといった動きを見て対応できる人材が必要だと考えたのです。そこで、理学療法士の野呂をレバンガ北海道に紹介したのがはじまりでした。
その選手がインソールを使用することでパフォーマンスを順調に発揮できるようになり、それがきっかけとなって、エターナルフィットとレバンガ北海道がサプライ契約を結ぶ流れとなりました。
足部からの感覚は、身体の動きに大きな影響を与えます。足には感覚受容器が多数存在し、そこからの感覚入力があるかどうかで身体の動き方が変わってきます。インソールは、その足部から身体全体のアライメントを整える重要なツールであり、選手にとっても非常に大切な存在です。
本来、インソールは立位・歩行・トレーニングなど、日常のさまざまな場面で使用することで、トレーニング効果につながるものです。例えば、使い始めた直後にふくらはぎやお尻まわりに筋肉痛が出ることがあります。これは、今まで使えていなかった筋肉が正しい姿勢で働きはじめた証拠です。それほど、インソールひとつで日常に大きな変化をもたらすのです。
バスケット選手の中には、足の痛みを抱えている選手も少なくありません。そうした選手に対しては、足底から姿勢を整えるインソールを使用することで、正しい姿勢へと導いていきます。もちろん、トレーニングで筋力をつけることも大切ですが、1〜2時間インソールで矯正された姿勢を維持するほうが、動きに良い反応が出やすいと感じています。特に、痛みの改善という点では、インソールの効果が分かりやすく現れます。
現在は、選手たちの生活全体に寄り添えるように、普段使い用・トレーニング用など、用途に合わせたインソールの作成も検討しています。
インソールの作製にあたっては、野呂と密に情報交換を行っています。選手一人ひとりの特性や、引き出したいパフォーマンスを共有しながら、最適なインソールをオーダーメイドで作ってもらっています。私では評価しきれない部分を的確に分析し、インソールへと反映できる野呂には、厚い信頼を寄せています。
真面目に、ひたむきに。野呂が信頼される理由
今の人格に影響しているのは、最も大きな影響を与えてくれたのは母です。お母さん子だったこともあり、幼い頃からずっと母の姿を見て育ちました。
いつもニコニコと笑顔を絶やさず、誰とも争わず、真面目に一生懸命働く。そんな母の背中が、私の原点です。
その姿を見てきたからこそ、私はお客様、スタッフ、そして関わるすべての人に対して、良いところを見ようと心がけています。
「その人自身をみて、興味を持つ」 それが、私の人との向き合い方です。
またもう一人影響を受けたのが、高校時代に最も影響を受けた、当時の野球部監督です。現在は知内高校の野球部監督を務めている高草木氏です。
当時は非常に厳しい指導を受け、「なぜここまで辛いことをしなければならないのか」と悩んだ時期もありました。
上下関係を大切し、掃除・洗濯・整理整頓の習慣、仲間とともに努力し続ける姿勢などの野球以外の部分も教わりました。
携帯禁止・コンビニ禁止・坂道を少しでも歩いたらヤキが入る・弟子師匠制度・先輩のユニフォーム洗う・先輩のカバン持つなど数々のルールも、当時はすべてが当たり前でした。
理不尽とも思える環境の中で、ただ一つブレなかったのは「とことん真面目にやり抜くこと」。
この愚直なまでの姿勢が、今でも自分の強みとして自然に身についています。
現在も高草木監督との関係は続いており、選手のケアに関わらせていただいたり、ときにお酒を酌み交わしたり。
恩師としてだけでなく、人として尊敬できる存在として、変わらず私の人生に影響を与えてくれています。

野呂は、プライベートでも本当に変わらず真面目。時間を守る、どんな人に対しても態度が変わらない。その部分は野呂の良さそのもの。
話をしていても、愚痴も一切ないし、いつでも仕事を楽しんでいる感じがします。

僕たち兄弟はベタベタするほど仲良くはないですが、帰省のタイミングを合わせたりなるべく家族であえるようにはしています。
実家帰省すると、うちの家族はごろごろする人が多いんですが、あきひろだけは家族へマッサージして動き回っています。じっとしていられないのは今でも変わらないかもしれないですね。

野呂のプライベートは本当に公表できないです。
エターナルフィットのトレーナーとして、たくさん学びましょう!
エターナルフィットのトレーナーは、一言で言えば、「自分の人生に誇りを持てるようになる仕事」です。

お客様に本気で向き合えば向き合うほど、自分の内面が磨かれ、人としてもトレーナーとしても深く成長していけるのがエターナルフィットの強みです。
うちのチームには、「お客様を本気で想う」という強い軸があります。そこは全員がぶれない。だから、支え合える。成長し合える。
もしかしたら、私が野球人生でつちかったエッセンスが入っているかもしれません。
技術は後からいくらでも学べます。
でも、この“想い”は、エターナルフィットでしか学べないです。
エターナルフィットで経験を積んだトレーナーは、「どこへ行っても信頼される人材」になれます。
それは“技術よりも信頼を築ける力を、現場で肌で学んでいるからです。もしあなたが、人の人生に本気で関わってみたい・自分の成長も諦めたくない
そう思っているなら、一緒に成長していきましょう。
僕と一緒に働き(たのしみ)ましょう!
- 北海道千歳リハビリテーション学院 理学療法学科 卒業
- 社会医療法人仁陽会西岡第一病院12年在籍
- 第50回日本理学療法士学術大会発表
- 北海道岩見沢教育大学 スポーツビジネス専攻 非常勤講師(2023年〜)
- 保育士養成校向けの体の使い方講座ゲストスピーカー
- 札幌国際大学スポーツ人間学部メディカルフィットネスについてのゲストスピーカー
- レバンガ北海道トップ選手のオーダーメイドインソール作成を担当(2024年〜)
- レバンガ北海道チアリーディングチーム、パシスタスピリッツ選手へのパーソナルトレーニング、メディカルチェック