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理学療法士を志す理由「解剖学を学びたい」
理学療法士を目指したきっかけは、「解剖学を勉強したい」という純粋な興味からでした。
小さい頃から医療に携わることが好きで、人の体に強い関心がありました。 医療番組、手術映像、人体ドキュメンタリーなどの番組を夢中でみている子どもでした。
そんな幼少期だったので、自然と 「医療の現場で人の役に立ちたい」と思うようになっていきました。
特に惹かれたのが、人の体の仕組みを理解する「解剖学」
高校生の時は、進学するなら医療系と決め、数ある医療職の中から「理学療法士」を選びました。
自分自身もスポーツが好きで、ずっとバレー部だったので、身体の動きに関わる仕事に魅力を感じたことも大きかったです。
そうして、理学療法士になる専門学校へ進学しました。
勉強に夢中になった3年間
学生時代は、本当に狂ったように勉強していました。今振り返ると、いろんなものを犠牲にしたとも思っています。笑。
朝は一番早いバスで学校へ行って図書室で勉強。授業が終わったら最終バスまで図書室に残って勉強。家に帰っても、食事の時間をけずって勉強していました。
家の壁中に暗記するメモを貼り、外出するときも常に教科書を持ち歩いて、ずっと勉強。まるで、受験生のような生活を3年間ずっと続けました。
覚えること、理解すること、その積み重ねが楽しくて夢中になっていました。
興味のあることを追いかけて努力できた学生時代は、今の自分をつくる大切な経験になったと思います。
恩師が照らした理学療法士への道
どんなに勉強をしても、学生当時はまだ「理学療法士ってどんな仕事なんだろう」と、ぼんやりとしたイメージしか持っていませんでした。
その道標となってくれたのが、今でも尊敬する恩師との出会いだと思います。
恩師はとにかく知識が豊富で、目の前で患者さんの体を改善させてしまう姿が本当に衝撃的でした。医師のように薬や手術で治すわけではないけれど、「理学療法士は手で人を治せる」ということを実感しました。
また、授業もとてもわかりやすく、放課後には生徒の身体の不調を実際に治してくれることもありました。
私自身も、施術してもらったことで、痛みが治るという体験をし、理学療法士という仕事の奥深さを感じました。
そして、その姿が単純にかっこよく、「恩師のようになりたい」「この道を極めたい」と強く思うようになっていきました。
恩師との出会いが、私の中で理学療法士という仕事が明確にビジョン化されたと思います。
ハードな環境でみつけた「自分が進む道」
理学療法士として最初に就職したのは、研修プログラムがある病院でした。
「いきたい分野が決まらないなら、1年目は少し大変でも、しっかりと色々学べる環境で頑張った方がいい」と恩師に背中を押してもらい、思い切って挑戦しました。
その病院の研修プログラムはとても充実していました。
臨床で患者さんを担当しながら、年に3回、教授やドクター、理学療法士の先生方の前で症例発表を行います。
私は整形外科をはじめ、小児、ICU(集中治療室)、脳神経、内部障害など、すべての科をローテーションで回ることができました。3つのクールごとにそれぞれの分野で症例発表を行うという、かなり密度の濃い1年間を過ごしました。
研修中、進む分野に迷っていた私は、恩師の後輩である先生方と出会いました。
先生方の考え方や指導姿勢は恩師によく似ており、その姿を見て「自分もこうなりたい」と強く思い、同じ整形分野の道を選びました。
大変ではありましたが、得られた学びは本当に大きく、 理学療法士としてより専門性を高める選択ができたと思います。
理学療法士という天職を辞めた
研修プログラムを終えて、整形分野に進みたいと恩師に相談すると、円山整形外科病院で働くことをすすめてくれました。
ここでは主に膝疾患の患者様を担当しリハビリをしていました。同時に「訪問研究員」として大学で臨床研究にも関わっていました。
平日は病院での勤務、夜や休日には大学での研究活動という多忙な日々でしたが、学びの多い充実した時間でもありました。
やりがいを感じながら続けていた理学療法士の仕事でしたが、6年後、私はその仕事を離れる決断をしました。
もともと肩関節がゆるく持病があったため、毎日テーピングや注射をしながら勤務を続けていました。
そんな中、肺に穴が開き手術を受け、その翌年には限界をむかえた肩の手術も決意。
術後復帰した矢先、今度は大きな交通事故にあい、顔の半分を100針以上縫う大怪我で、顔が半分に裂け、腫れ上がり人前に出ることも考えられない状態でした。
人を治す仕事なのに、そもそも自分の健康状態がよくない。この状態で人を治すことは難しいと考えるようになっていきました。
自分自身の身体を考えて仕事をしようと、理学療法士としての臨床の仕事から離れることを決めました。
それは、私にとって本当に悔しく苦渋の決断でした。
「人を治したい」その想いは消えていなかった
事故から半年後、顔に大きなガーゼをつけて転職しました。
「この事故のせいで、すべてを諦めるのは嫌だ」
その想いで、今までの経験を活かしつつ、事務職として働ける治験コーディネーターへ転職。直接患者様を治すことはできなくても、医療に関わり続けることができる環境でした。
日が経つにつれ、顔の傷は少しずつ癒えていき、そして、傷が薄くなるのと同じように、心の中で何かが動き始めていました。
「やっぱりもう一度現場で人を治したい」
封じ込めたはずの想いが、静かに、確実に再燃していきました。
転職から1年半後、友人から「逢縁クリニック」という訪問リハビリの病院を紹介され、理学療法士として現場に復帰しました。
訪問リハビリの現場で患者と向き合ううちに、 もっと整形疾患に近いリハビリにも携わりたい。そう思い始めた頃、知人から「エターナルフィット」の話を聞きました。
そうして、最初は副業として、夜だけパーソナルトレーナーとしてエターナルフィットでの仕事がはじまります。
日中は訪問リハビリ、夜はトレーニング指導という二刀流の日々。
妊娠・出産を機に、一度仕事をセーブし、そして2025年、エターナルフィットで本格的に復帰しました。
今は企業向けのオフィス部門を担当し、従業員一人ひとりの体をメンテナンスすることで、企業全体のパフォーマンス向上を支えています。
理学療法士という仕事のやりがいは、「人を治すことができる」という実感を得られることです。痛みや不調が改善されていく様子を見ると、この資格のすごさを改めて感じます。
きっと、このやりがいこそが、私を再びこの道へ引き戻したのだと思います。 事故も、迷いも、すべては必要な過程だったのかもしれない。
療養中も、産休中も「自己研鑽」
交通事故で現場を離れた期間、何もできない自分に劣等感を感じながらも「このまま何かを諦めるのは嫌だ」という思いが強くありました。
「 今の自分にできることは何だろう?」と考え、療養中の時間を使って今後の仕事に活かせる資格の勉強をし始めました。
健康や運動に関する資格はすべて事故で休職中の期間に取得したものです。
・管理健康栄養インストラクター 
・食育健康アドバイザー 
・スポーツフードマイスター 
・アスリート栄養食インストラクター
また、円山整形外科病院勤務時代は、栄養と運動の関係性をもっと深く理解したいと思って、栄養系の資格にも挑戦しました。
さらに、産休中にヨガインストラクターの資格は取得。リハビリの知識とも結びつけながら、心と体を整える方法を学べたのは大きな収穫となりました。
- 理学療法士
- 健康経営アドバイバイザー
- 管理健康栄養インストラクター
- 食育健康アドバイザー
- スポーツフードマイスター
- アスリート栄養食インストラクター
- ヨガインストラクター
今後エターナルフィットでの目標
今後の目標としては、2025年10月から産休から復帰したので、まず育児と仕事をしっかり両立していきたいと思っています。
仕事では、求められる人材であり続けることを大切にしていきたいです。 そのために、自己研鑽を続け、常に成長し続ける姿勢を持ちたいと考えています。
特に今、関心を持っているのがウィメンズヘルス(女性の健康)の分野です。
自分自身、妊娠・出産を経験し女性の体は大きく変化すると実感しました。だからこそ、身をもって学んできた知識を活かし、女性に寄り添うサポートをしたいと思っています。
その他にも、エターナルフィットの実務に活かす健康経営、小児分野の学びを深めています。
エターナルフィットを検討している方へメッセージ
エターナルフィットは、本当にいろいろなことに挑戦している企業だと思います。
理学療法の分野でも幅広い選択肢があり、自分自身の可能性を広げられる環境だと感じています。
トレーナーの方々は、熱量が高く、人柄もとても素敵な方ばかりです。
私自身、「こんな方にトレーニングを見てもらいたい」と思えるような方がたくさんいらっしゃいます。
きっと、エターナルフィットに来ていただけたら、「自分も一緒に頑張りたい」と思えるはずです。
- 札幌医科大学附属病院理学療法士総合研修プログラム
- 札幌円山整形外科病院
- 札幌医科大学保健医療学部訪問研究員
- 製薬会社関連の会社で治験コーディネーターとして臨床推進業務を担当
- 逢縁クリニック

 
		 
		 
		 
		 
				 
				